わたしの夢は大きな鏡をつくること

健人くんの素敵な世界をまるごと映して見せてあげたい

担当するということ

ジャニーズのファンを◯◯担と呼ぶという文化を知ったのは小学六年生の頃でした。

知念くんが大好きだったわたしは、ガラケーの待ち受け画面を知念くんのお顔の下半分からの画像に設定して(いつ誰に見られてもいいようにちょっとおしゃれな画像を気取った)、キャナルシティーの写真店に行ってみたり福岡天神北のジャニーズショップに連れて行ってもらったり、ドル誌を月に1冊だけ選んで買ってもらったりしていました。両親にお願いしてFCにも入れてもらいました。

それでもわたしは自分のことを知念担だとは思っていませんでした。コンサートに行かせてもらえなかったからだとか、知念くんへの思いがそれほど強くなかったとかいうわけではなくて、ただ担当という言葉がしっくりきませんでした。

幼かったわたしはジャニーズが好きだということが恥ずかしくて、知念くんのことを話すぞ!と決めた数少ない友達にしかそういう話をしませんでした。家族の前でもあまり知念くんの話はせず、唯一習い事がない日曜日にひとりでYouTubeで動画を見て、少クラを見ておばあちゃんに買ってもらったDVDを見て、部屋で同じ雑誌を何度も何度も読んで過ごしました。あの頃わたしのケータイはインターネットが使えないように設定されていたので、家のパソコンで知念くんの画像を検索して、それを添付したメールを自分のケータイに送って画像を保存していました。今考えたら恐ろしいほど面倒な作業。大好きな大好きな知念くんのことは、自分ひとりで楽しめればいいと思っていました。あの時間はわたしと「画面の向こうの知念くん」の2人だけの時間でした。


それから数年後、徐々に徐々に中島健人くんにハマっていきました。健人くんを好きになって、わたしが高校生になってスマホを買ってもらってしばらくしてからわたしはTwitterを始めました。

健人くんのかわいい画像をトプ画にして、ぎゅっと寄り添っている5人の画面をヘッダーにしました。今では恥ずかしいようなアカウント名で、呟きも思い出すだけで寒い…。お友達がたくさんできました。TLにはいろんなグループの担当の子の呟きが流れていました。世界が広がった気がしてわたしはものすごくワクワクしました。

だけどある時たまたま健人くんのことをやんわり悪くいっている呟きを見かけてしまって、わたしはすごく落ち込みました。その人のトプ画を見て嫌な気持ちになりました。トプ画に設定されているタレントは全く関係ないとわかっているのに見ると嫌な気持ちになりました。

いろんな人に見られているこの状況で健人担を名乗ってわたしが呟くと、それは「わたしの言葉」ではなくて「健人担の言葉」になるんだとその時気がつきました。健人担の言葉や行動は健人くんの評価に繋がるんだと思うと少しこわくなりました。


SNS無しでひとりで楽しんでいた頃、わたしの世界にはわたしと「画面の向こうの知念くん」だけしかいませんでした(もちろんそれが悪いという意味ではないです、そういう楽しみ方もとっても素敵です)。Twitterやブログで言葉を発信して、コンサートに足を運ぶようになった今、わたしの世界にはわたしと「健人くん」と「わたし以外のファン」がいます。「わたし以外のファン」と触れ合う時、わたしは自分のことを健人担だ、と実感します。


規格内のうちわを持って、会場内でヒールからパンプスに履き替えて、それなりに恥ずかしくない服装でコンサートを楽しんで、SNSで健人くんを褒めちぎってマイナスなことをできるだけ発信しないように心がけているわたしは胸を張って自分を健人担と名乗ります。


健人くんを担当するということは、中島健人くんの作る世界の一員になるということなんだと、健人担はアイドル中島健人の一部なんだとわたしは思います。